私に似たあなたへ

不定期更新になりました。月に1度は更新できると思います。

『アリとキリギリス』のキリギリスが心を掴んでくる

こんばんは竜之介です。
 
今日は『アリとキリギリス』の寓話について話そうと思います。
 
なぜこのテーマを選んだかというと、
 
エノキダケを入れた野菜スープにハマっているからです。
 
しゃきしゃき感がたまらなく美味しくて
体が温まってポジティブになれる気がするので
エノキダケを入れた具沢山スープを食べてみるのはいかがですか?
 

と恐ろしく自然な記事誘導してみました。
 

なぜ『アリとキリギリス』が出てきたのか?
 
わかります。
 
『アリとキリギリス』と『野菜スープ』になんの関係があるのか?
と言いたいのですよね?
 
その野菜スープを作っているときに思い出して
 
子供の頃はアリのような生き方に憧れていて
今はキリギリスに憧れている私に気づいたからです。

 


『アリとキリギリス』のあらすじ
 
多くの場合は、10年単位で読む機会がなかったと思うので
軽くあらすじを話ししましょう。
 
アリは夏の間から食料をため込み、冬を越せるが
キリギリスは楽しく歌を歌って遊んで、冬を越せそうにないので
キリギリスは「食料を分けてほしい」とアリの家を訪ねることにした。
 
ここから結末が分岐
 
アリが食料を分けてあげて、キリギリスは心を入れ替えて働くことになった。
アリは「夏は歌って過ごしていたのだから、冬は踊って過ごせばいいじゃない」
と言い放ち、キリギリスは嘲笑われて追い返されてしまい
アリの家の前でキリギリスは凍え死んでしまう。
アリは「夏は歌って過ごしていたのだから、冬も歌えばいいじゃないか」と言い放ち
キリギリスは「もう歌うべき歌は歌った。君は僕の亡骸を食べて生き延びればいい」
と伝えて、アリの家の前でキリギリスは凍え死んでしまう。

 


この寓話の狙いは何か?
 
子供にこの寓話をなぜ聞かせるのかといったら
 
アリのように勤勉に禁欲的に未来に備えて働け
キリギリスのように死にたくないのなら
苦しみたくないのであれば
 
楽しむなんて考えを持つな。
 
「働くこと」
「苦しいこと」
「我慢すること」は正しい
 
「楽なこと」
「楽しむこと」
「心地が良いこと」は間違っている
 
といったように子供の無意識に語り掛け
楽しいと感じることをしているのなら
罪悪感を覚えなさい
 
アリのようになりなさい。
 
死という恐怖を使うことで
幼少期から仕事に対する価値観を植え付け

洗脳させるためなのではないかと
捻くれた私は感じています。
 

大人になってから感じた『アリとキリギリス』
 
改めてこの寓話を思い返すと
3つ目が非常に好きなことに気づきます。
 
「冬も歌えばいい」という皮肉に
「もう歌うべき歌は歌った。君は僕の亡骸を食べて生き延びればいい」
 
と答えるところが非常に格好良くて
キリギリスらしい生き方を全うしたことが眩しい。
 
一方で感じるのが、
 
「アリが食料を分けてあげて、キリギリスは心を入れ替えて働くことになった」
という結末は、貴重な「キリギリスらしい生き方」を犠牲にしては勿体ない
 
という所です。
 
そこで私は気づきました。
 
子供の頃はアリに憧れていたけれど
今は「生き方」を決めて実行したキリギリスに憧れるようになっている。

流石何百年も語り継がれる寓話だと見直してしまった。
貴重な「人間らしい生き方」を犠牲にするのは勿体ない。
もう少しキリギリスのような生き方をしてもいいのではないか。
 
と感じたという話でした。
 

疑問
 
・・・?
 
「アリとキリギリス」と『具沢山スープ』ってなんの関係があったんでしょうか?
 
私がアリのように食料をため込んでるから?
どっちも野菜食べるから?
まだ寒いから?
 
いくら何でも具沢山スープを作ってるときに思い出した
という導入は不自然過ぎる気がします。 

 

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追伸:まだ修正する所がありますが、6点トラッキングで足まで動かせるようになったので、今までしてみたかったことができました。非常に楽しいです。