私に似たあなたへ

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他人にとって、いい人 をやめた話

こんばんは竜之介です。
 
他人にとって都合がいい人はいらない
自分にとっていい人になろう
 
という何番煎じかもわからない話をしましょう。
 
煎じ過ぎて味がほぼしないことはわかってるんです
でも話させてください。
 
実は私は「いい人」だったんです。

いい人にならなければならない
他人のために尽さなければならない
 
こう思っていたので
必死に、いい人になろうとしていました。
 
そういう検定があるなら
2級くらいのいい人だと思います。
 
どうして必死になってまで
いい人になろうとしていたのか振り返ると
 
母がキリスト教徒だったおかげで
集会らしきところに何度も連れていかれたり
聖書やマザーテレサの話をよく聞かされたので
 
その影響も大きいと思います。
 
母のスイッチが入ったり
集会らしき所に連れていかれたら
 
マザーテレサの献身の話とか
いい人になりましょう^^
 
みたいな話を延々と聞かされました
キリスト教を信仰しない人に対しては暴力だと思います。
 
そんなことを小さい頃に延々を聞かされたら
いい人になろうと考えてしまうのは自然なことだと感じます。
 
そんなこんなで
いい人になろうとした訳ですが
 
他人に尽くすのはしんど過ぎました。
 
自分が満たされていないのに
他人のために尽くすと言う行為は
自分を満たそうと思っていた分を他人に分け与えるようで
 
素晴らしいことかもしれないですが
「それは本来、俺のやつなんだぞ」
とドス黒い感情がふつふつと沸いて出てくるんです。
 
その感覚が気持ち悪くて仕方がなかったことを覚えています。
 
「ならやめればいいじゃん」
そう思いましたか?
 
これの厄介なことは
一度でも「いい人」をやりだすと
 
それがやめられなくなっていくんです。
 
どうしてやめられなくなるのか
少し説明が難しいのですが
 
・無理をしないと好かれない
・悪い人になりたくない
 
そんなことを漠然と思って
いい人をやめるのが難しくなっていました。
 
でも私は「いい人」をやめることができました。
 
親から離れることができた
大学生の頃から段々と洗脳が解けてきたのですが
 
トドメになったのは
前職の仕事で身体も心も壊したことでした。
 
自分を取り繕う余裕がなくなっても
別に周囲の反応は変わらなくて
滅多に私の事を見ていません
 
私は身体に染み付いちゃっているので
ポイ捨てとか悪いことはあまりできないですが
多分、悪いことをしても神様が見ているとかいうのもないです。
 
不可抗力ではあったものの
仕事で色々と壊したおかげで
 
ずっといい人でいる必要も
自分を犠牲にして他人に尽くす必要もない
 
そんなことを、わかってしまいました。
 
他人に親切にするのは
本当に気が向いた時で十分だし
自分がモヤモヤするから助けるくらいで問題なかったんです。
 
一貫してずっといい人でいる必要がなかったし
いい人になりたい時だけ、いい人になったら良かったんです。
 
私にとっては
 
たまにいい人になるくらいが、一番心地が良かったんです。
 
他人にとって都合がいい人はいらない
自分にとっていい人になろう
 
という何番煎じかもかわらない話なのに
 
すごく、気が付くのが遅くなったな
という話でした。