私に似たあなたへ

毎週土曜日の19時に更新します。

「吾輩は猫である」が嫌いだった。

夏目漱石の作品をはじめて読んだのは
小学校の授業だったと思います。

 

記憶通りなら国語の教科書に載っていたのは
吾輩は猫である」と「坊っちゃん」です。

 

私はこれらの作品が大嫌いでした。

 

「主人公の気持ちを答えろ」「作者の気持ちを考えろ」という問いに対して
間違っていると言われて嫌いになった気がします。


そんな私ですが
約10年ぶりに「吾輩は猫である」を読み直しました。
https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B009IXLHZ2/
こちらで無料で読めます。


読破時間は3時間30分程でした。
100ページ程の小説なら20分~40分で読み終わるので
324ページで3時間30分は、普段の2倍近い時間がかかったことになります。
それだけ難しい文章だったのかもしれません。

 

どうでもいい前置きはさておいて


今回は「吾輩は猫である」と言う作品について
書いていきたいと思います。

 

一部の人には「馬鹿」「無知」「恥知らず」「うんこ踏め」と言われると思いますが
「現代の作品よりは面白くない」と思いました。

 

もちろん、私の教養がないというのも事実ですけどね。

 

100年前に書かれたのですから
現代の人に合わないのは当然ではないかと思います。

 

この作品は
純文学とカテゴリーされるそうですが

 

私の認識では純文学と言っても結局は娯楽小説。
読者に楽しんでもらうためのものです。

 

娯楽小説と言う面では
現代の作品の方が同じ時代の作品なだけあって伝わりやすく
今までのノンハウが蓄積されている分だけ面白いのは当然な気がします。


現代の作品よりは面白くないと書いただけで

 

・猫という「得体のしれない存在」と表現できるような存在を主人公にする
・猫なのに「吾輩」と言う尊大な一人称
・猫にも拘らず猫を名前ではないと認識している
・猫だけども人間をまねようとする
・猫からみた人間世界
・続きを見たかったと思える終わり方

 

上記の点が面白いと思えました。


現代と違いインターネットがなく
今ではよくある小説の書き方のような
ノンハウをまとめたような本もなかった。

 

人に聞くにも交通手段もお世辞にも良いと言えないのに
一作目でここまで書けるのかと、才能を感じます。


なぜ「吾輩は猫である」が
もてはやされているのかと考えると

 

「100年前に、現代でも面白い小説として通じる作品を書ける人がいたんだぞ。」
と言う点に集約するのではないかと思いました。

 

大嫌いだった「吾輩は猫である」を
とりあえずでも読めるようになっていたのは
なんだか嬉しい。


思ったよりも面白かったので
これからは純文学のカテゴリーにも手を出してみようと思います。

 

ですが少し野暮なことが気になりました。

 

統計局のホームページを見る限り
https://www.stat.go.jp/data/nihon/26.html
平成29年時点で新刊が年間75000冊以上が出版されています。


令和1年の今なら電子書籍の広がりによって簡単に出版できるようになったので
もっと多くの本が毎日出版されているはずです。

 

毎日205冊以上出版される中
熟読する必要がある純文学がこれから流行ることはあるのでしょうか。

 

次の記事はこちらです。 

 
最後まで見てくださり、ありがとうございます。

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